木曜05022024

Last update08:15:27 PM

エラー
  • フィードデータの読み込みにエラーが発生しました
Back 書家と画家 中国東晋書聖王羲之(おうぎし)紹介 - 王羲之主な法帖

中国東晋書聖王羲之(おうぎし)紹介 - 王羲之主な法帖

記事インデックス
中国東晋書聖王羲之(おうぎし)紹介
王羲之主な法帖
王羲之には次のような逸話がある
すべてのページ

王羲之主な法帖

『楽毅論』(余清斎帖本、部分)

『黄庭経』(部分)

『喪乱帖』

『孔侍中帖』

『十七帖』(余清斎帖本、冒頭部分)

楷書

楽毅論(がっきろん) - 永和4年(348年)

戦国時代の燕の宰相であった楽毅の言行を、三国時代の魏の夏侯玄が論じたもので、羲之の小楷として第一位に置かれる。日本では光明皇后の臨書したものが正倉院宝物として遺されている。

黄庭経(こうていきょう) - 永和12年(356年)

老子の養生訓で、羲之の小楷の中でも気韻が高い。真跡として唐に伝わったものは安史の乱で消失し、今日に見られるものは、これの臨本を模刻したもので、宋の拓本を最古とする。

東方朔画賛(とうほうさくがさん) - 永和12年(356年)

漢の武帝に仕えた東方朔という奇人の画像の賛として書かれた。

孝女曹娥碑(こうじょそうがひ) - 升平2年(358年)

後漢の漢安2年(143年)、水死した父の屍を求めて投身した孝女曹娥の事跡を表彰したもので、羲之の書であるというが確証はない。南宋になって初めて文献に出て来た。

行書 

蘭亭序(らんていじょ)- 永和9年(353年)

詳細は「蘭亭序」を参照

集王聖教序(しゅうおうしょうぎょうじょ)

『集字聖教序』ともいう。唐の太宗が玄奘三蔵の業績を称えて撰述したもので、これに高宗の序記、玄奘の訳した般若心経を加え、弘福寺の沙門[9]懐仁(え にん)が、高宗の咸亨3年(672年)12月勅命を奉じ、宮中に多く秘蔵していた王羲之の遺墨の中から必要な文字を集めて碑に刻したものである。字数は約1800字で、原碑は現存する。

羲之が歿してのち、300年後の仕事であるので困難も多く、偏と旁を合わせたり、点画を解体して組み立てた文字もあり、完成するのに25年を要したといわれる。

興福寺断碑(こうふくじだんぴ)

唐の興福寺の僧大雅が、羲之の行書を集字して、開元9年(721年)に建てたものであるが、碑は上半分を失って700余字を残しているため、半截碑ともいう。また、文中、「矣」の字を「呉」と誤っているので、呉文断碑ともいう。明の万暦年間に長安城内の草中より発見された。

喪乱帖(そうらんじょう)

王羲之の手紙の断片を集めたもので、『喪乱帖』8行、『二謝帖』5行、『得示帖』4行の計17行が一幅になっている[10]。書簡の最初の行に「喪乱」の句があるのでこのように呼ばれる。縦に簾目(すだれめ)のある白麻(はくま)紙に、双鉤填墨で模したものであるが、肉筆と見違えるほど立派である。東京・三の丸尚蔵館蔵。右端の紙縫に「延暦勅定」の印3顆(か)[11]が押捺されているところから、桓武天皇の御府に既に存在していたことが分かる。

孔侍中帖(こうじちゅうじょう)

『哀禍帖』(あいかじょう)・『九月十七日帖』・『憂懸帖』(ゆうけんじょう)の三帖から成る。一括して『九月十七日帖』また『孔侍中帖』という。『喪乱帖』と同じ紙で、双鉤塡墨。また『哀禍帖』と『九月十七日帖』との間の紙縫に、同じく「延暦勅定」の印三顆が押捺されている。現在は前田育徳会蔵。国宝。

快雪時晴帖(かいせつじせいじょう)

「羲之頓首」に始まり、時候の挨拶に続いて相手の安否を気遣い、要件を済ますといった、形式通りに書かれた手紙。清の乾隆帝が、王献之の『中秋帖』、王珣の『伯遠帖』とともに珍蔵し、その室を「三希堂」と名付けたことで著名。

平安帖(へいあんじょう)

姨母帖(いぼじょう)

奉橘帖(ほうきつじょう)

草書

十七帖(じゅうしちじょう)

羲之の手紙29通を集めて一巻としたもので、蜀郡の太守の周撫に与えた手紙が多い。初行に「十七日」の句があるのでこのように呼ばれる。草書の龍といわれている。四行は楷書である。

游目帖(ゆうもくじょう)

羲之が周撫に宛てたものと思われ、蜀郡への憧れを寄せている。1900年、義和団事件の混乱で紫禁城から流出し、大正時代に日本に伝来。1913年(大正2)、京都府立図書館の展覧会で一般公開。1945年(昭和20)所蔵者だった広島市大手町の安達万蔵が原爆で被災し以降行方不明。

瞻近帖(せんきんじょう)

羲之が陶瞻に宛てたもので、陶瞻の来訪を心待ちにしていることを告げている。

行穣帖(ぎょうじょうじょう)

15字の断簡であるが、古くから知られた羲之の名品である。文意は不明。

二謝帖(にしゃじょう)

王氏と並ぶ名家で、親しい謝氏の誰かが亡くなった悲しみを綴った手紙である。

秋月帖(しゅうげつじょう)

ごく簡単な、相手の安否を問う手紙である。あるいは謝尚への見舞状かもしれないが、判然としない。

得丹楊書帖(とくたんようしょじょう)

羲之が遠く離れている友人に対し、会ってゆっくりと語り合いたいと綴っている。

袁生帖(えんしょうじょう)

羲之が都へ行った袁(袁宏あるいは袁嶠之)の近況を尋ねているが、宛先は不明である。

時事帖(じじじょう)

知念帖(ちねんじょう)

自慰帖(じいじょう)

皇象帖(こうぞうじょう)

晩差帖(ばんさじょう)

大熱帖(だいねつじょう)

転佳帖(てんかじょう)

初月帖(しょげつじょう)

妹至帖(まいしじょう)

長風帖(ちょうふうじょう)

労弊帖(ろうへいじょう)

荀侯帖(しゅんこうじょう)

寒切帖(かんせつじょう)

従洛帖(じゅうらくじょう)

遠宦帖(えんかんじょう)

参朝帖(さんちょうじょう)

弘遠帖(こうえんじょう)

分住帖(ぶんじゅうじょう)

周常侍帖(しゅうじょうじじょう)

謝生在山帖(しゃせいざいさんじょう)




あなたが記事に興味があるかもしれない:
新しい記事:
古い記事:

最終更新 2011年 5月 04日(水曜日) 16:50